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「推し」の話

10月26日に、加賀先生の「推し」であるミュージシャンの方がリサーフに来られます。

このブログが掲載されているころには、参加された皆さんは「ワークショップの興奮冷めやらぬ!」といった感じでまだまだ盛り上がっていることでしょう。ご自身の「推し」に、勇気をもって話しかけ、ワークショップに来ていただく交渉を続けられた加賀先生の行動力はやはりすごい!

 

私は昔から、今でいう「推し」、つまり誰かの熱狂的な「ファン」になることがあまりなく、ちょっと自分でもつまらないな、と思っていました。

別に「推し」がミュージシャンやアイドルでなくてもいいのですが。「ファンかも」と思う時期はあるのですが、あまり長続きしない。長年熱心な「推し」がいる人をうらやましいな、と思ったりもします。

実際カウンセリングやデイケアの場面でも、「推し」の話題はよく出ます。「その人(もしくはグループ、チームなど)の存在があるから頑張れる、つらいことも乗り越えられるし、私の希望です」などという話をお聞きすると、「推し」の存在は生きていくためにとても大切なものであることが分かります。ストレスコーピングとしても十二分に機能しますよね。

 

 話は変わりますが、リサーフで「哲学カフェ」というプログラムが始まりました。

私がまともに「哲学」という学問に触れたのは大学の時ですが、なぜか哲学の講義を担当していた教授のファンになりました。先生は当時すでにご年配でしたが、ライフワークである西田哲学の話をされるときは、少年のように目を輝かせ、難解なお話にもかかわらずその穏やかで優しい、時にエネルギッシュな語りに思わず聞き入ってしまう、そんな魅力的な講義をなさる先生でした。

研究室にもお邪魔したり、卒業後もたまに先生の勉強会に参加させていただいたり、とささやかな交流がしばらく続いていました。哲学と心理学は近いようで遠い、遠いようで近い微妙な距離感の学問ですが、先生は心理学にも博識で、時に心理学の「常識」や「エビデンス」を疑え、という角度からのお話もされるなど、哲学の面白さを再認識したりもしました。

そんな先生がこの夏にお亡くなりになられたとの一報が入り、とても悲しくさびしく思っています。大学時代のノートはほとんど処分してしまいましたが、先生の講義ノートや資料は今も大切にとってあります。今読み返しても、先生のあの時の少年のような瞳の輝きと、優しく時にエネルギッシュな語りを思い出すのです。

ちょっとしんみりしてしまいましたが、先生は間違いなく、私の「推し」だったのですね。

そしてこれからも。                           

O.M

 

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